紺野’sブログ

考えている事の吐き出し用に。テーマとしては暗いものが多いです。

副作用

 こんばんは。前回の記事を投稿して5日ほど経過しました。いや、夏真っ只中ということで毎日すごく暑いですね。クーラーをかけず扇風機だけで過ごしたり窓を開けて網戸にするというだけで過ごしております。暑いですとても。ここ数年間で分かった事は、自分は夏が苦手なんだなあという事です。いや、もう本当に頭がしんどくなります。秋がくればもう少しマシになるのでしょうか…。

 

 今回は「副作用」についてです。

この言葉自体はこの記事では比喩として使う事にしています。

 

 なにが副作用なのかというとですね、最近思ったんですよ。

「あの時あんな行いをしなければよかった、悪い事なんかするべきじゃなかったのに。」

 そんな後悔から生まれる罪悪感っていうのはすべて行動から生まれた「副作用」そのものではないのだろうかと。

 

 では、ここから自分の考える「副作用」について掘り下げていきたいと思います。

原因となる行動は大きく分けて「よかれと思ってやった事」「悪い結果を招く事を想定していたにも関わらずやってしまった事」の2つに分ける事ができます。

 

 自分はどちらもあります。後者は一般的には「罪悪感」と呼ばれがちですが…。

罪悪感ってだけでは足りないような気がしたんですね。

 

 自分は酷い事をされた人間であると同時に酷い事をした人間でもあるんですね。

そういう人間であるからこそ許されるべきではない部分があるし、単に被害者ぶっているというだけではいけないという部分があると思います。それは当然です。

 

 相変わらず前置きが長いですね。というか、最近長文を打ってこなかったので前よりも劣化してしまったような気がします。

 

 それはさておき。先ほど述べた2種類の思いに基づいて人間は行動してるんじゃないかなあと思います。動機がどちらであったにしろ悪い結果を招いているという事には変わりがないですね…。

 

 よかれと思ってやった事だった。それは自分自身に対してストッパーをかけるため。しかしそれは結果として悪い事へ繋がってしまった。そんな事がよくあります。その選択をしなくても悪い事は起こっていたかもしれないですがね。でも選択をした事によってそのような悪い事が起こってしまった…ぐるぐる考えてしまいますね。それの繰り返しになってしまいます。終わりなきループ。

 

 別の道を模索しようとしても、どうしても未練を断ち切る事ができずに半ば前にいた道に戻ってしまう。そのままずるずると続けてしまう。本当はやめるべき事だったのに。でもそれが完全に悪い道であるという事でなければそのまま続けていってしまう。それが人間の性というものなんでしょうかね。自分自身がこのような性格であるという事ももちろん言えますが。

 

 つまり何が言いたいのかというと、その時もろに苦しまなくても後からじわじわと自分に対して罪悪感を感じていくことこそが「副作用」なのではないかと。

 悪い事をしたらその報いが必ず帰ってくるという意味で使われる「因果応報」よりは軽いイメージですかね。

 

 なにかをして結果的に良くない結果に結びついてしまった、しかしそれは大きくバッシングを受けるというものではなかった、だからその環境に甘えてしまうという結果を招いた、しかし自分の意識の中では確実に何かが壊れていってしまうような気がした。

 

 自分の意識が壊れていきながらもそこの居心地の良さから離れる事ができない。だから副作用が起きる。そういう感じなのかなあと思います。

 

 傍から見ると考え込み過ぎているようにも見えますよね。実際にそんな部分もあると思います。考えすぎて頭の中がごちゃごちゃになってしまうという現象。

 

 でもちゃんと考えたり向き合っていかないといけない部分もありますからね。そこらへんの折り合いは大切なのかなあと思います。プレッシャーでつぶされない程度に生きていきたいものです。

 

 長くなりましたが今日はこの辺で。自分自身「副作用」に対するイメージはそれなりに持っていたつもりですが、いざ書き出してみると文章がまとまっておらず、かなり分かりづらい内容になってしまったと思います。すみませんでした。